夫婦とカルマ

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結婚して今の住まいに引っ越したときに育て始めたオリーブが実をつけました

 

 

 

夫婦関係はカルマの解消をするための関係とか、よく言いますね。


私が好きな夫婦関係を題材にしたエッセイで江國香織さんの『いくつもの週末』という本があります。

いくつもの週末 (集英社文庫)

いくつもの週末 (集英社文庫)

 

 
独身の頃はじめて読んで、たいへんなカルチャーショックを受けました。江國さんは江國さんらしく、なんというか、私がその頃思っていた「妻」の像に縛られることもなく、精神的にとても自由……パートナーは銀行員さんで、「サラリーマンの夫」像……平日は会社員・休日はごろごろというような……で、こんな感じのお二人なので、もめることも多々あり。(江國さんが夕飯を作ってなくて、夫がびっくりして、私はこの人にとって食事を作る人間なのか、と江國さんが自問したりとか)私は江國さんのファンなので、大変興味深く読んでいました。

 

自身が結婚して何年かたった今、あらためて読んでみて、印象はだいぶ変わりました。共感する部分もあるし、自分とは違うなと思う部分も当然出てきて。

私の生活では、江國さんよりよっぽど家事をしないし(フルタイム+残業で勤めに出ているので仕事のある日は難しい)、逆に夫は主に料理担当、洗濯もしてくれる。


あと、大きく違うのは、私たち夫婦はとにかく揉めない。喧嘩しない。
理由は、 ①夫が優しいので譲歩している ②私は基本的に人のやることにとやかく言うのは好きじゃないから夫が何かしても気にしないようにする ③私と夫だと私のほうが絶対に弁が立つのがわかっているから夫がけしかけてこない  といった具合でしょうか。中でも①が大きいと思います。優しい。ほんとうに、感謝しているし、彼のすばらしいところだと思って尊敬しています。私にとってこんなに良い人いないと思っています。


けれど、いつもどこか不安があります。私はこのままでいいのか。こんなに自由にしてて(仕事の事情がある、とはいえ)、ほんとうにいいのかな。彼がいつも腹のうちに不満をためてるんじゃないかしら。ある日突然、彼に自分が見限られたらどうしようかな。

 

 


そんなことを思っていた時に、『魂の目的 ソウルナビゲーション』という本を久々に読み返しました。

 

「魂の目的」ソウルナビゲーション―あなたは何をするために生まれてきたのか

「魂の目的」ソウルナビゲーション―あなたは何をするために生まれてきたのか

 

数秘術の本なのですが、以前読んだときは書かれた内容が抽象的に感じられて、はっきりいって、全然ピンとこず。


私はちなみに37/10でして、

 

37/10の人生の目的は、自分自身と他人のもつ知恵と美しい精神を信じ、創造性を開花させ、霊的素質を世の中の調和に役立てることです。


(抽象的すぎてよくわからないし、人の営みって少なからずみんなこうなんじゃないのか)


37/10は、まず自分の心を開き、自分自身と人生を信頼することを学ばねばなりません。そして鋭い感性と個人主義的傾向をプラスに生かし、根深い不安感を克服していく必要があります。


(このあたりはわかる、最近取り組んでいることだと思う)


自分と他人を信頼することは、誰にとっても重要ですが、37/10にとっては、それがまさに人生最大の試金石となります


ピッシャーーーーーン!


この一文に、雷に打たれました。


まさに、私が夫に対して感じているその不信が……
「人生最大の試金石」……

 

私の、他者への不信。
「この人は私の存在を許してくれるのか?」
「私の自由な意思を尊重してくれるのか?」「気を許していいのか?」


それを、
一番身近で、本来一番信じるべきパートナーという存在に対して抱いているという矛盾。
まさしく、私のカルマ。

 

夫婦って、ほんとうに、魂を切磋琢磨する存在なんだって痛感しました。私が夫と結婚したのは、常日頃、人の愛や優しさに信頼し感謝するということを課題にせよと与えられたということ。与えられた相手。
そして、彼は彼で、私を妻に選んだことでの課題があって、それを日々解消してるのだろう。もし彼が困ったときには私が助ける、日々の感謝をもって全身全霊で助ける。それで良い。
それが分かって、人生の大きな課題を目前に見えたので、なんだかすっきりしてます。

夫の優しさをすべて感謝をもって受け取ろう、

夫のことを心から信頼しよう!と決めました。

 

いや、ね。夫婦は前世の敵同士、なんていって、そりゃ、カルマの解消のたぐいだってきっとあるに違いない。夫婦になるとは、折れる、許す、引き下がる、差し出す、与える、捧げる、愛、愛、愛、許し許し許し(あとはリピート)なんて、そういうことすべてのレッスンの連続で、それはきっと、自分の中の余分でしかない「我」がなくなるまで、続くのだろうと思う。果てしなく、永々と。(服部みれい 『あたらしい結婚日記』)