ジュビリー

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知人の女性の訃報を聞いた。きれいで、たくましく強く、母性的な優しさあふれる、そんな素敵な方。病気だとは知っていたけれど、まさかこんなに早く。

 

 

 

地震や、身近な人の死、そういった、死や生の危機に遭遇すると、不変のようにあたりまえのように思いがちな「日常」が、こんなにもかんたんにゆらぐ。錯覚であったと気づく。

 

 

茨城のり子が「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼」と表現していて、まさしく、と思う。生は、蜃気楼のような幻かもしれない。「生きている」という夢。しばしば、その夢の裂け目の見せられている心地がする。
いま、ここにいる、いっときの、なんて儚いものだろう。

 

人はそれぞれのライフ あたらしい場所探して
でも君とははなればなれ

 


死別という、人にはどうしたって抗えない別れもあれば、自らが選択する別れもある。

 

 

そして私は、今いる場所、愛しい人との、別れの予感を感じている。
心細い。

けれど、行かなくちゃいけない。

生きているのはこんなにも一瞬だと、不変はないのだと、教えてもらったから。私が私の道を歩むために、生をまっとうするために、別れなければいけない。

 


そんなふうに、私たちは、いっとき出会い、愛を交わして、別れていく。

 


誰かと”今”ここで共にいるというのは、まして互いに愛しあっているというのは、恋愛や親子だけじゃなくて、友情だってなんだって、奇跡のようだ。

 


だって私たちは遅かれ早かれいつかは別れなければいけない。だから今このいっときの邂逅がいっそう愛しい。

そのいっときの「あなたに会えてよかった」という愛の交流が”歓び”なのだと思う。

 

 

Jubilee
歓びとは 誰かが去るかなしみを
胸に抱きながらあふれた
一粒の雫なんだろう

 

 

 

(引用部:くるり『ジュビリー』)

 

 


夕方、Adi Nadaのナツさんの歌を聴いて、その後に訃報を聴きました。降り続く雨がますます心に染みる夜に、この歌声が私のそばにいてくれて良かった。

 

 Adi Nada ジュビリー(くるりのカバー)

https://www.instagram.com/p/BkPRXKvgVoD/?taken-by=adi_nada_

 

 

 


(そして別れた人ともいつしかまた会えると私は信じている。それはこの世界ではないかもしれない。心の中で「また会いましょう」と静かにその背中に声をかけている。)