高田馬場のロータリーで

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「久保みねヒャダのこじらせナイト」で、

高田馬場のロータリーは世界一汚ない場所 」

といってて、声に出して笑った。

(大好きな番組。地上波復活ありがとう。)


大学時代、高田馬場が最寄り駅だった私は、
そのロータリーにせっせと4年間通っていた。
私もあのロータリーが大嫌いだった。


世間で言われるキャンパスライフ……
バイト三昧とか、サークルに入るとか、留学とか、
……というものを、まったく謳歌できなかった。


リュックに図書館で借りた本をどっさり詰めて
ドアトゥドアで片道2時間の通学路。
受講した講義の単位は落としたことがない。
高校までの学習の仕方しかできなかったので、
この講義は捨てて、とか、1年休学して、とか
そういう柔軟な手段がとれなかった。
とにかくきちんとこなして4年で卒業する、というのが大前提だった。 

単位をとるのがすべてで、
人とのコミュニケーションも不得手で、恋の話のひとつもない大学生活。

 

そんなわたしはリーマンショック後の就職活動氷河期に、
まったく評価されなかった。

学歴だけではもはや雇ってもらえなかったし、

人にアピールできる功績もなかった。

大学さえ行っておけばなんとかなるというあまりに古い価値観を信じていた。

不器用な私は4年目でやっと気がついた。


この学生時代を私は「無為に」過ごしてしまったのか、と愕然としてしまった

 

 

他学部はきれいになっていくのに

取り残されて改装されない教育学部の校舎。

友人と歩いたラーメン屋ばかりの学生街。

居酒屋ばかりの駅前。薄暗い路地。
美味しくない学食。いちょう並木。

高田馬場のロータリーは、
いつもサークルのコンパの待ち合わせでごった返していて
学生時代を謳歌する彼らのことを

あか抜けない私はいつも呪っていた。

常にあった不安な気持ち。

 

 

あのロータリーに立っていると、

どこへも行こうと思えば行けるはずなのに

どこに行ったらいいのかわからなくて、途方にくれていた。

 

 

 そういう「無為で無駄な学生生活」を過ごした自分を、

今のいままで、ずっと憎んでいた。

 

 

けれど、今にして思う。

その時に得たかったものって、何なのか。

大企業への就職、キャリアとか、名誉とか?それで世間に親に顔向けができるという自信?

そんなものだろうか。

 

 

……そういう得られなかったものは、

結局、

私には必要がなかった。

だから手に入らなかった。導かれなかった。

それだけのこと。


 

そう思うと、過去の自分を責める気持ちが安らいだ。

 


そして、
あの学生時代の自分がいるから、今の自分はいる、と

すこしずつ認められるようになった。

 

 

あの頃。

第二外国語の専攻はなぜかスペイン語で、

それがきっかけで、アルモドバルの、目にも鮮やかで残酷で

それでも愛をあきらめない映画のファンになった。

ビクトル・エリセの仄暗い闇の中のランプの灯り、『ミツバチのささやき』のアナ・トレントの瞳。

長い長い夏休みの蒸し暑い雨の夏に読んだ『百年の孤独』。
一方で、ドストエフスキーに傾倒して、むやみにロシア語の講義をとってみたり。
池袋の立教大学まで講義を受けに行ってみたり。
文学部キャンパスの図書館書庫にわざわざ行っては萩尾望都のマンガを読みにいった。
レポートで扱うロラン・バルトミシェル・フーコーレヴィナスなんかを
読んでみては、分かったような分からないような気分で
レポートをパソコン室でしたためていた。
オアシスだった駅前の書店。

大きな図書館の地下書架に、知の深淵みたいなものを感じたり。

そこで読みふけったゲーテリルケの詩。

19世紀末からWW1の歴史や芸術にも興味があって、

調べ物をしては心はいつも世紀末ウィーンにいた。

 

 

あの頃に映画で見た太陽と情熱と悲劇、

本の中の寒空、知識人の知恵をほんの少し、

クリムトの黄金、

そんなものが、確かにわたしの中に生きている。

とても大事な経験だったと思える。

 


「  あなたがいたから、今ここにいるよ。

今の私は幸せだよ。

だから、大丈夫。 」

 

 

あの高田馬場のロータリーで、

身の置き所がなくて、小さく丸めたあの頃の私の背中に

今の私がそんなふうに声をかける。

光をあてる。

 

 

 過去の私はほっとした面持ちで、

今の私もまた、安らかな気持ちになる。