シャネルの5番
旧盆のおわりの夜、ふと思い立って香水を部屋にふきかけた。
ミストがふわっとひろがって、いつも愛用するアロマとは違う、
「パルファム」の香を感じたときに、
ずっと前に亡くなった、母方の伯母のことを思い出した。
不思議な縁で、
私はもうすこしでその伯母と同じ名前になりそうだったそうだ。
父方の祖父が小説家の三浦綾子のファンで、その夫がまた聡明なすばらしい方なのだが、なぜか祖父は「綾子」でなくて、三浦綾子の夫の名前を名づけようとしたらしい。
そしてそれは伯母と同じ名前だった。
その伯母と私が過ごせた時間はあまり多くはなかったけれど、
幼くてあかぬけない私の爪に、ワインレッドのマニキュアを塗ってくれたのを
今でもよく覚えている。
化粧っけのない母と違い、伯母は派手好みの装いで華があり、子供心に憧れていた。
母性と男性性というイメージの私の母と違って、
私にとって伯母は「大人の女性」という存在だった。
私が大人になったある日、
母が伯母のことで、いままで知らなかった話をした。
伯母は派手な印象であったから、その田舎の空気が肌にあわなかったのだろう、
ある出来事を起こして(それはよく聞く話ではあるのだけど)
祖母をたいへん悲しませたのだという。
母はそのことで伯母のことを当時嫌悪していたと言っていて、私は母のそんな側面にすこし驚いた。(形見の服やアクセサリーを大事にしているし、今はそういう感情も薄れているようだけれど)
そして母はその話をすることで、私の女性性の発露のようなもの、そういう行動に、明確に、釘を刺したのだ。
祖父が私に名づけようとしたとき、母は「伯母と同じ名前だから」とやんわりと断ったのだという。私は伯母と同じ名にはならなかったし、同じ道は歩まなかった。
でも心のどこかに、伯母がいる。
幼いあのとき、爪を赤く塗ってもらった時間のこと、なんだか秘密にしておきたいような高揚感を覚えている。
シャネルの5番の香りに、祖母を悲しませてまでも、自分の心に従ったのであろう、伯母の生涯を偲んだ。