自分が幸せであることをゆるす
今年の夏は、たいへん充実していました。
はじめてのキャンプ、
あこがれの方の占星術のセッション、
大好きな方々のお話会、
すてきなお友達に会ったり、
地元の花火大会で五感いっぱいに花火を感じたり。
とっても楽しかったです。
そして「平成最後の夏」の思い出に、
はじめて海の家に行ってみました。
帰り道、
海辺の道をバイクの後ろに乗って、
Spotifyで雰囲気のある楽曲を流しながら、
夕日が水平線に沈み、
空も海も暗くなり、
やがて夜景の灯りがきらきらとして瞬きはじめる、
そんな様子をなんともいえない心地で眺めていました。
この夏の楽しかったことをいっぱい思い出しつつ、
最近の言葉でいうと、こういうの、エモいというのでしょうか、
ちょっとの切なさと、
あとは胸いっぱいに満ち足りた心地になりました。
私は この幸せを
たっぷりと
身体全体で
なにもためらうことなく
享受していいんだ
私は幸せでいていいんだ
心が幸福感で満ち充ちて
生きていて嬉しいと、
魂の声が聞こえたように感じました
冬にはこんなに心が安らかだなんて考えませんでした。
ちょっと前まで死にたいと毎日泣いていた自分とは思えません。
いや、
死にたい は 生きたい だといいます。
だから、もしかすると、
冬に心から望んだこと(「死にたい=生きたい」)を
この夏、身体いっぱい、心いっぱい、
生きている、
嬉しい、
幸せだ、と 感じられたのかもしれません。
つらい心身を抱えた冬があって、
春に「私は自分の幸せを最優先にして良い」とスイッチを入れていただいて、
(具体的にいうと、このスイッチは、IH・インテグレイテッドヒーリングです)
すこしずつ、自分がどうしたら幸せか、自分に聞いてみました。
でも、自分が何が好きなのか望むのかすら
なかなかわからなくて(自分のことなのに!)
苦しさを感じながら、
でもすこしずつ、
「自分を最優先に、自分の幸せを許可すること」を実行してみました。
きっと、
あの冬のつらさがあったから、
あの春の発見と転換があったから、
この夏はこんなにも美しく感じられるのかもしれない。
少し前に
「幸せすぎてこわい」という感情がありました。
こんなに楽しい夏が終わって、幸せを失ってしまうのがこわいから。
けれど、心配しなくていい、と思います。
私はこれからも、
世界から、たくさんたくさん幸せを受け取っていいのだから、
こんこんと湧いてくる泉の水を飲むように、
いくらでも幸せを受け取っても良いんです。
私はこれからもいっぱい幸せになって良いんです。
だから今は、夏の終わるのが、こわくありません。
いままで生きていて、いちばん楽しい夏でした。
そして来年も、きっと、
いや、もっと!楽しい夏にしましょうね。