自分の美しさを知って、世界の美しさを知る

f:id:indigoholizon:20180914175401j:plain



私は、
自分のことが世界で一番美しいと思ってます

 

アタマおかしいと思われそうですが 笑

 

まあしかし、
30年くらい自分を卑下し続けたこれまでより、
頭おかしくてもこっちのほうが、
ずうーーーーーっと
生きるのにらくで幸せだから、しょうがないですね。
勝手に思ってるだけで迷惑はかけないので許してやってください。

 

(あと、ここで言う世界とは、

ひとりひとりが見る世界、という意味ですので、

私の世界では私が一番、

あなたの世界ではあなたのが一番、です◎)

 

・自分の外見への否定
そもそも、私は自分の外見にまったく自信がありませんでした。
そしてその外見への卑下によって
私は、
私に対する全ての価値を否定していました。
私は視覚の美に対する興味関心が強いので
その分「視覚的に美しくない自分」というのは
ものすごい欠損であり、自分に対してなにも肯定できませんでした。
「美しくない自分」がどんなになにかをどれだけ頑張ったって、
「美しくない」ってだけで、全部パーなのです。

 

 

 

・外側の物差しを捨てる
友人、恋人、夫が、
それでも、私の外見のことを肯定してくれて、
少しずつ少しずつ私に自信をくれました。

けれど、
外からの言葉は、
しょせん一時的にしか効かない。
だってそれを「そんなことない」って否定してるんですから、自分が。

外側の評価に頼ったって、自分を変えられないのです。
自分を肯定できるのは自分だけ。

それに気づいて、
もう自分を否定すまい。と決めました。
私ひとりくらい、私のことを世界一だ宇宙一だって思ってあげたって
何が悪い?

(だいたい、美の基準といっても、
・人の考える「理想」なんてあくまでその人の基準と認識にすぎない
・世界規模のミスコンっていくつありますか、「世界一」は世界に何人いるんだ
平安時代と現代の美の基準はどれだけ違うか、なんなら昭和と現代のグラビアを見比べればわかるように、その基準はどれだけ不安定なものか
・マスメディアに出てくるきれいな人は、広告。消費社会において購買意欲を煽るためのメディア。)

 


ようするに、外側に判断基準を置くの、ばかばかしくなったんです。

 

 

私の美の基準を、電通にも博報堂にも操作されるものか。

 

 


そんな考え方の転換があって、自分を肯定する練習をしました。
・外(雑誌、ネット、テレビのメディアが配信するものなど)に基準を求めない
・鏡に向かって自分を褒める
・化粧を工夫する、服を選ぶなど、自分を高める工夫をする
などなど、
自分を自分でリスペクトする意識をしました。
すこしずつ、すこしずつ。

 

 


・自分の美しさを肯定できると世界も美しくなる

外側のどんな価値判断基準もあてずに、
自分は最高にきれい。かわいい。すてき。
というのが大前提。

すると、
自分のことのみならず
人に対しても「外側」の物差しを向けなくなり、
他人もだれとも比べないし否定する気も起こらなくなりました。
むしろ他人も
個々人をリスペクトする気持ちが増幅しました。
その人らしさがきらりと光ったときの、
オリジナルの美しさが見えてくるようになりました。

 

 

あの服のワンポイントの、かわいい。センスがすてき。
髪の毛の色、綺麗に染まっていて似合う。
すっぴんがナチュラルでいいな。

 

 

そんなふうに見ていると、私の目にうつる世界が愛しい。


そう思える自分も、安らかでなんだかとても好き。

 

 


自分の美しさを知ると、世界の美しさに気づくことができました。

 

 

 

ツイッターで教えていただいたCHAI『NEO』が最高だったので

キュートでロックなこの動画でしめさせていただきます。

ぜひぜひ見てくださいませ。

『コンプレックスはアートなり』。

 


CHAI『N.E.O.』Official Music Video

 

 

この世界を楽しむ器として選んだこの身体、

せっかくなら全力で愛したいじゃない。