さる方への便り(罪悪感について)

(これは、私が以前ある方にお便りを送ろうとして、

しかし結局機を逃してしまったものをリライトしたものです。

このブログは、まず読んでいないであろうし、

届かなくていいと思います。

でも、ただ世界の片隅に置いておきたくて、

メッセージボトルを大海に流すように、そっと放ちたかったので、

このように記事にするにいたりました。)

 

 

 

 

親愛なるあなたへ

 

 

あなたの、率直な言葉に、涙があふれて、
私のあなたへのお便りの言葉も白々しくて自分勝手で
なんだか猛烈に恥ずかしくなりました。

自分の気持ちを整理して、
やっとある程度言葉にするに至りました。

 

冷たい雨の降る夕方にその放送を聞いて、
胸が痛み鼓動がばくばくとして、
あなたの元に飛んで行って、
ハグしてわんわん泣きたい気持ちになりました。
(私がしてあげたい じゃなくて してもらいたかったのかもしれません)

 


強烈に心に刺さったのが、
あなたが、自分を「汚れている」と表現したことでした。

私にも、あなたと同じような……
自分の心と身体を、自分の行いで傷つけてしまった経験があり
またそれによって、
社会の倫理に背いたという凄まじい罪悪感で
押しつぶされそうになっていました。
罪をおかした人間。日の目を見れない人間。
私は汚れてしまった。
そう思っていました。

自分の価値も見失っていました。


けれど、心のどこかで、私は生きたかった。
いろんな人のいろんな話を聞きました。
そして、「罪悪感にとらわれて自分を貶めなくていい」という言葉に出会って。

いいんだ、私は善人じゃないけれど、
ここで生きていて良いんだ。

発見と安心感を得ることができて、
私を今の状態まで立ち直らせてくれました。

 

 

今思うのは……
かの世界一有名な人が
「この中で罪を犯したことがない人は、この人に石を投げよ」と言って
誰も石を投げられなかったように、
まったく罪を犯したことのない者はいないし、
それでも…皆、大きな大きな大きな何かに、ゆるされている…
そんなふうに、考えています。

 

 

あなたも、

わたしも、汚れてなどいない。

 


逆に、
私が経験したこと、行ってしまったこと、
それらは私に経験すべく用意されたことだったのではないか。

 

私には悔いている過去の出来事がいくつかあって、
自分のみならずそこで人を傷つけてしまいました。
そのことは、本当に、申し訳なかったと思っています。
でもその過ちを経て、
だからこそ、私は今生きています。


罪悪感は免罪符ではないから、
罪悪感をもっていても、私も、誰も救わないから、
それを足枷にして自分を苦しめるのはやめました。


もしも、それに対しての
糾弾されれば、罰があるのなら、
それは因果応報として、あるべきものとして、
またこの身一つで受け入れます。


でも、私は生きる価値があるという確信だけは、決して、手放しません。

 

 

その過ちの経験が私にあったから、
わたしはあなたの心の痛みが、すこしは、わかる気がする。
そしてあなたがいたから、言葉にして勇気をふりしぼって発信してくださって、
私はまたそのあなたと私の経験を思い、
クリーニングし、感謝の思いすらあります。
私は今安らかな気持ちです。
あなたががお便りをしてくれたから。
きっとそれを聴いた人に、
そんなふうに癒された方がきっとたくさんいらっしゃると思います。

 


時々自分を罰したくなる、
後悔の念で罪悪感がふきだして、押しつぶされそうになるときもあります。
そんなときは、おいしいほうじ茶を入れて、
あなたが目の前にいるように、

いっしょにお茶をしているように
語りかけて、そっとして、クリーニングして、
ときに、泣いている誰かをハグするように、
自分で自分を抱きしめたいと思います。

 

 

 

 

 


f:id:indigoholizon:20180915122832p:plain

 

 昨日この文章をリライトしていたら

今日の日めくりが「罪悪感」で、happyちゃんもその話をちらとしていて

そういうタイミングなのでしょう