ぶれながら迷いながら
・合わないなら選ばないだけ
冷えとり靴下、履き始めてみました。
初めてではないのですが、そのときはうまく付き合えなくてやめていました。
今日吉本ばななさんのブログを見返していて、冷えとりについてこんな記事が。
米ぬか酵素浴はいい | 吉本ばななオフィシャルブログ「よしばな 日々だもん」Powered by Ameba
ばななさんが以前冷えとり靴下を履いていたが、効果を感じないしやめようかと友人に話す。すると「人のよっては合うが、ばななさんにとってはそこで感じる不快感が害になってしまうよ」と言われた話。
「全ての健康法は、自分に合うかどうかを厳密に検証しながらやったほうがいい。」
本当にそうなんだろう。
冷えとりにせよ、ありとあらゆる健康法や知恵が体質や環境などなど、合わない人もいるだろうし、タイミングもある。
盲信せず、自分にとってそれが良いか、感覚を研ぎ澄ませること。
その人が、合わなければ選ばなかったというだけ。頭ごなしに否定する必要もない。
・極端と中庸
文明/自然
科学/スピリチュアル
など 世に溢れる二項対立
私は自然療法が好きで、現代医療に不信感がぬぐえず病院嫌い。
しかし医療の優れた点もまた認めていざというときに自分の命を守る時にはどちらを選択すべきかはよく見極めたほうがいいとは思っている。
あるいは、「科学的」な知識と、哲学宗教スピリチュアルなど精神世界の知恵。
どっちに極端に走っても、何か違う気がする。
盲信はたやすい。
極端に行くのは
中庸でバランスをとることより、シンプルで簡単。
頭も感覚も使わなくていいから。
そうでないものは、とことん否定すればいいから。
それは、とても危険。
世の中の危険なものは、そういう「私のこれは絶対に正しくて、あなたのそれは絶対に間違っている」
という、極端な正義感によってできていて、それはよくて余計なお世話、最悪は戦争を引き起こす。
絶対の正義なんてない。自分の正義はあっていい、大事な部分は自分で大事にしたらいいけど、他人、家族だって、それは押し付けられない。逆に人に否定されるいわれもない。人の正義も、必要以上に攻撃する必要もない。
私はどこかに絶対的な真実があると信じていた。
でもそれはやめよう
(すこしはあるけど、それは世界にほんのすこし)
世界に中庸でありたい。
新しいものはもちろん、今手元にあるものだって、それは心地よいものか感覚し持っているべきか考える。
ぶれたらいいし、迷いたい。
冷えとり、今の自分に合うかなって
またのんびり吟味してみるつもりです。
ぬくいな〜。
今回は綿でなくウールにしたのが私には良かった感じがします。