物質はエネルギー 世界からの借り物

先日実家に立ち寄った際に、カレン・キングストンの『ガラクタを捨てると自分が見える』を見つけたので久しぶりに読んでいます。

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2月から3月にかけて、ずっと部屋の片付けをしていました。きっかけはNetflixで見たこんまりこと近藤 麻理恵さんの番組。そこから片付けに夢中になっています。

 

 

カレンのこの本はみれいさんの著書で知って、たぶん5、6年前くらいに読んだはずなのですが、内容に対する印象や感度がぜんぜん違います。受け取る側の状態によって、評価というものはまったく変わりますね。本は今「そうそう!」と付箋だらけになっています。

 

今回特に、これは、と思った部分を引用します。

「物質は世界からの借り物である」という話。 

 

人生は常に変化しています。ですから何か新しいものがあなたの人生に転がり込んできたなら、
それを満喫してうまく使い、そして時期が来たら手放しましょう。これは実にシンプルなことです。
何かを所有しているからといって、一生それを持っていなければならないということはありません。
人生にちょっとだけ立ち寄った多くのものと同じように、あなたはそれを一時的に所有しただけなのです。(中略)

 

物質的なものはすべて、単なるエネルギーの一時的な形でしかありません。
あなたは家を所有していて、銀行には貯金がたくさんあると思っているかもしれませんが、
実際にはあなた自身の体ですら自分のものではありません。

 
体はこの地球から一時的に借りているもので、用が済んだら自動的にリサイクルされ、
あなた無しで違うフォームを与えられるのです。
あなたは魂そのものです。崇高で永遠なる、破壊されることのない魂。
でも肉体は、一時的なもの。単なる「借りもの」というのが、一番正しいでしょう。

 

『物質的なものはすべて、単なるエネルギーの一時的な形』『体はこの地球から一時的に借りているもの』(本文では体の話になっていますが、物もそうですよね)というのを最近実感しています。

 

たとえば、我が家のテレビ台の下のひきだし。閉まっているので、以前も今も外観はほぼかわらないのですが、この中身を整理整頓した後から、外側からひきだしを見たときの印象も、なんだか、違うのです。この『物質はエネルギー』という部分を読んだときに、「そうか、エネルギーが整えられたから、感じる印象が変わったんだ」と合点がいきました。

 

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なにかを感じるアルパカ

 

物を捨てるとき手放すときも、「無駄にしてしまった、もったいない」と心が痛むこともあるのですが、「これは世界から借りていたもの。自分にはもう不要なエネルギーだから世界に循環させるんだ」と思うと気が楽になります。

(もちろん今後無駄に捨てたくないと反省もして、無用な買い物は控えるように心がけます。)

 

ちなみに私が多大な影響をうけた近藤麻理恵さん、彼女の物への視点や感じ方もカレンと近くて、こんまりさんの著書(特に2の方)の内容もスピってるというか。(心屋仁之助さんと交友もあるようですし)こちらもいずれご紹介します。