アイデア

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写真は、平凡な今川焼き(カスタードクリーム入り)で、
私の今日の朝ごはんだったものです。
美味しかったです。



星野源さんの新曲「アイデア」が配信されました。


ファンというほどちゃんと存じ上げていないので恐縮なのですが
源さんの曲はいつも素敵だなと思っています。
先週たまたま「星野源オールナイトニッポン」を聞いて、
配信のことをきいて、
お話しされていた内容がとても気になったので、
今回ダウンロードして聴いてみました。


詳しい解説や感想はたくさんのファンの方にしていただくとして。
なんだかとても今の自分に「ユリイカ!」を与えてくれて、
すごく良かったです。


きわめて個人的に考えたことを書きます。
(いつもそうですけれど)


ブログとか、自己表現することとかは、
楽しいんですが、
何を書いたらいいのか、
どんなことを表現したらいいのか、
なんだかよくわからなくて。
(思えば昔同人誌を描いていたころからそうだったな)


今回「アイデア」を聴いて、はっとして、
「私も、こんなことをやりたい」って、思いました。



“ つづく日々の道の先を

塞ぐ影にアイデアを ”



日々の生活は、
今川焼きくらい平凡で、
バックパッカーみたいに、旅行とか飛び回っている方はそれはそれで素晴らしいんですが、
多くの方はどこかに定住して、ルーチンのように日常というものを過ごしているのですね。
どっちがいいとか悪いとかではなく、好きな方をやればいいと思います。
私は、「いつもの日常」がある暮らしが好きで(その”いつもの”というのは錯覚なのも含めて)
その「平凡な日常」が、
なんだか感じ入ってしまうくらい美しいものであると思っていて、

(源さんはそういった表現を本当に美しくされますね)
だから「インスタ映え」も「世界の絶景」もないけれど、その、平凡な日常の美しさを伝える「アイデアを表現してみたい。


あるいは
日常のなかにはささいな(あるいは大きな)つまづきがあって
「なんでこんなことでこんなに落ち込んでしまうんだろう」
って暗く暗く自己嫌悪になっていく、デフレスパイラルな日もある。
そんな日に、小さなペンライトくらいでもいいから、大丈夫、って足元を照らせる「アイデア」もシェアしたい。


そんなひらめきがあって、
手元にあった今川焼きをお皿にのせたら
なんだかたまらなく愛しく感じて、思わずインスタにのせました。
私は、星野源さんにはなれませんしあんな素敵なパフォーマンスはできませんが、

私のスケール、今川焼きみたいな手のひらサイズの幸せを表現すればいいって思いました。



そんな「アイデア」をくれた、源さんの新曲でした。
今日の「おげんさんといっしょ」も楽しみですね。

シャネルの5番

旧盆のおわりの夜、ふと思い立って香水を部屋にふきかけた。
ミストがふわっとひろがって、いつも愛用するアロマとは違う、

「パルファム」の香を感じたときに、
ずっと前に亡くなった、母方の伯母のことを思い出した。


不思議な縁で、

私はもうすこしでその伯母と同じ名前になりそうだったそうだ。
父方の祖父が小説家の三浦綾子のファンで、その夫がまた聡明なすばらしい方なのだが、なぜか祖父は「綾子」でなくて、三浦綾子の夫の名前を名づけようとしたらしい。
そしてそれは伯母と同じ名前だった。


その伯母と私が過ごせた時間はあまり多くはなかったけれど、
幼くてあかぬけない私の爪に、ワインレッドのマニキュアを塗ってくれたのを
今でもよく覚えている。
化粧っけのない母と違い、伯母は派手好みの装いで華があり、子供心に憧れていた。
母性と男性性というイメージの私の母と違って、

私にとって伯母は「大人の女性」という存在だった。

 

私が大人になったある日、

母が伯母のことで、いままで知らなかった話をした。
伯母は派手な印象であったから、その田舎の空気が肌にあわなかったのだろう、
ある出来事を起こして(それはよく聞く話ではあるのだけど)
祖母をたいへん悲しませたのだという。
母はそのことで伯母のことを当時嫌悪していたと言っていて、私は母のそんな側面にすこし驚いた。(形見の服やアクセサリーを大事にしているし、今はそういう感情も薄れているようだけれど)
そして母はその話をすることで、私の女性性の発露のようなもの、そういう行動に、明確に、釘を刺したのだ。


祖父が私に名づけようとしたとき、母は「伯母と同じ名前だから」とやんわりと断ったのだという。私は伯母と同じ名にはならなかったし、同じ道は歩まなかった。

 

でも心のどこかに、伯母がいる。

幼いあのとき、爪を赤く塗ってもらった時間のこと、なんだか秘密にしておきたいような高揚感を覚えている。

 

シャネルの5番の香りに、祖母を悲しませてまでも、自分の心に従ったのであろう、伯母の生涯を偲んだ。

夢の夏、国道134号線

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近くのスタバに行こうかと思ったら混んでいて入れなかった。
足をのばして、海沿いのマクドナルドへ。

 

部活帰りの学生たち
夏休みの小学生男子
親子連れ
老夫婦
ハンバーガーとポテトをかこんで話がはずむ。
にぎやかな店内で私もひとりアイスコーヒーを飲む。
マックのコーヒーも最近はなかなか。

 

夏の湘南は、みんなうきうきしている。
サーファーはちょっとでも波があれば、老いも若きもご機嫌で海へ。
海水浴客もたくさん来るからにぎやか。
虫とりかごをさげた子供もいる。
なにもしてない私もなんだかこころが弾んでくる。

 

店の窓の外では、
キャミソールにショートパンツの健康的な女の子が飼い犬の散歩中で、
水場で犬の火照った身体に水をかけている。
犬も実に心地よさそうな面持ち。

 

でもこんなにきらきらして愛しい夏もきっとあっというまに終わってしまう。
夏は、「終わってしまう」。

 

プリミ恥部さんの『UFOPIA』がイヤホンから流れる。
目に見える空間全体が、夢見ごこちにふわふわとする。

 

『さらに美しくさらにやさしく、
あまりにも短い夏が、この夏だけが
永遠だなんて。
今だけなのさ、死すら、愛すのだから。』

 

永遠につづきそうで、
のどかで、
どこにでもありそうな夏が
あまりにきれいで愛しくて、
時がすぎてこの夏が終わってしまうのが、こわい。

 

愛しい時間は、美しい光景は、
私にはまだすこし、こわい。
おわってしまうから。

 

「夢の夏」、とつぶやきながら、店をあとにして車を走らせた。

書かない記録

 

https://www.instagram.com/p/5qmIe8GzFz/

 

 

 

8月になってしまった!
(と、月が変わるごとに言っています。)

 

 

 

7月は文章を書く気が起こらず、日記も書けず。
三日坊主の常習犯なので
「また続けられなくなって自然消滅しちゃうの、やだなあ…」と
もんもんとしておりました…。

 

 

 

ですが、
ふと、気がつきました。
私は昨年も別のブログを書いていたんですが、
6月までわりと精力的に記事を書いていても、
7月あたりで停滞してしまっていました。

 

私、たぶん7月は
生産性(ちょっと今は言うのをはばかられるワード…)という点では、
落ちちゃう性質のようです。

 

 

そして、それは昨年の
「書いていない時期」が記録として残っているから、わかったこと。
「書いていないこと」=「書けないくらい調子わるい、気分があがらない」

ということ、
記録がされていないこと自体が、ある意味、記録になったのですね。

 

この記録があったおかげで
へたに「できなかった」と罪悪感を抱かず、
「そういうものだから」と受け入れることができました。

 

「他愛のないこと」

「とるにたらない小さい気づき」

あるいは

「書けない」すら、
未来の私のための「トリセツ」(西野カナ)になる、
大事な日々の記録ですね。

 

そして季節に限らず、
自分の心やからだのリズムって人それぞれ。
だから、
私のリズムを、
私自身をもっともっと知っていきたい。

 

 

そんなわけで、8月からはもうちょっと書きたい所存です!

 

 

いつも、読んでいただいてありがとうございます。


POI ◎

それぞれの魂を知ること

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自分の父親が苦手でした。

 

父からはあまり女の子としては育てられた記憶がなく
だから余計にか、
性格や趣味思考は父に似ていました。


中学から高校時代にかけて、
今思えば父は精神的に疾病があったのだと思います。
さまざまな鬱憤から些細なことで怒り、
私たちに暴力をふるうこともありました。

 

そんな父に、
同情するも、
同時に、強く憎んでいました。
そして「私はこうはなるまい」と思いつつも
自分と性質が似ているがゆえに、
いつか同じことをしてしまうのでは、と恐れていました。

 

暴力やいろいろな問題は、
年月を経て、
また父自身に浄化される出来事が起こり、発生しなくなりました。

けれど私の父への葛藤はいつまでも消えず、
父とはうまく付き合えないままでいました。

 


今年、春になる頃。
ならしょうこさんの数秘術セッションで
両親やパートナーの数秘も見ていただきました。

 


そしてそのリーディングの中で、
父は、もう心配がないのだ、と、認識できたことが
とても、癒される体験でした。

 


私は、
「自分はこうなるまい」と父を否定しながらも
父のカルマを自らに負ってしまい、
常に、人生の選択の折に、父の影を感じていました。


父の魂は、苦しみからの解放への道を進んでいるのだ…と、
そのリーディングで感じられたことで、
私もとても安心することができました。


私の人生を、まるで父の人生の修正のように感じていた妄想から
解き放ってくれました。

 


父は父自身の魂の人生を歩んでいる。
そして、
私は私の魂のための人生を歩んでいいんだ!と。

 


数秘術のこのセッションで
父の存在を客観的に認識できたことで、
人と人として、
距離は置きつつも
過去への葛藤もクリーニングしながら、
また付き合いをしてゆこうと思えました。

 

 

 

自分以外の人、
近しい関係の人の数秘を知ることは
その人が"一人間"としての存在として自分の中で客観的になり、
とても良い経験だと思います。


そして、しょうこさんのパワフルでハートフルな数秘術セッション
とってもオススメですよ!

www.instagram.com

日記 6/28-7/4

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6-28 山羊座の満月
満月、ストロベリームーン。あんまりに綺麗で感激してしまう。かぐや姫も見つめたら帰ってしまいそうな眩い月。見惚れていたら、どこからかカレーの匂いがして、ああ、私の家に帰らなきゃ、と我に帰った。カレーでグラウンディング。負けじと夕飯は唐揚げ。オリーブオイルで揚げたらびっくりするほど美味しかった。ワールドカップの試合を楽しみにした夫。試合のほんとうに直前に寝落ちしてしまった。ある意味、それが彼にとって、一番楽しめるあり方だったのかもしれない。
 


6-29
ポジティブにやる気が起きない。という心持ち。
声のメルマガ、だまだんさんのお便りが読まれてて、文通みたい、って。とっても素敵だな。私はどうも筆が遅くて、思考も遅くて、なかなか当意即妙に言葉にできない。それも私のあり方なのだと思うけど。手をつけるのが遅いというのもある。
ラジオが頭に入らない。大好きな星のお話会の回もたしか最初はそうだった。きっと宇宙タイミングがある。
フラワーレメディの相談をした。コミュニケーション不全とか心持ちなど精神的な事柄を物質的な手段に頼れるのはすごく心強いと思った。解決してくれるレメディのことを相談してるだけで安らぐ。
梅雨が明けたそうな。私の静かな雨の日よ…。ああ、季節が飛んで行く。風の強い夜。雨雲を連れて行ってしまった。

 

6-30
ポジティブにやる気がでない朝。朝風呂しながらメルマガを聞いてみるが、難しい。気を使わず愛を使う、がぜんぜんわからない。でもとても必要な気がして著書を注文した。ブログの記事をアップした。考えながら書いたからすごく時間がかかったけれど、それこそがインチャケアの癒しプロセスだった。すごく癒された。過去に光を送って癒す、というのを、happyちゃんがみれいさんと同じ話をしていた。原典が同じなんだろう。それぞれの語り口や表現が面白い。ひさしぶりにコズミックワンダーのワンピースを着てみて、メイクをだらだらし始める、と、ブログでも書いたけれど、結果としてフルメイクになる。髪もアップスタイルにしちゃう。美味しいパンを買って食べて、ノート整理。しながらメルマガ聞くけど、やっぱり難しい。
夏越の大祓の日だから神社に行こうと考えたら、突然、大山の阿夫利神社に行かねば、となかば使命感のように閃いた。衝動的すぎる。そこそこおしゃれしているのに汗だく。霊験あらたかなことのひとつでもあるかというと、そんなこともなく。穏やかに参拝して帰ってきた。射手座の矢のように行動するのはすごく気持ちよかった。それで十分。職場で棚卸をして帰宅。

 

7-1
仕事。

 

7-2
仕事。気分が落ち着かなかったので、
インチャの食べたいものを聞いたらとんかつだったのでスーパーに寄る。
夜中起きて、ワールドカップがやっていた。テレビをつけた途端相手のゴール。立て続けゴール。……謎の罪悪感。

 

7-3
仕事から早く帰ってそのまま寝てしまう。
気力すっからかん。

 

7-4
半分青いを見て、買い物へ。キャンプの準備。はしゃいだTシャツを買う。キャップも。はしゃいじゃう。レインポンチョにレインブーツ、夏フェスみたい!
買い物は気持ちをあげる。数日ぶりに楽しい気持ちになった。


今週の声のメルマガ、前半を聞く。
執着はつらい。
思い通りにできない他者への思い。
他者は変えられない。
でも実は、本当に変えるべきは他者ではなく、自分の認識。
執着の対象は思い通りにならないことによって起こること
メルマガでは二次的なことと言っていたが、
恋愛なら結婚出産の可能性や、他者からの承認
アトピーなら不愉快さのない時間、症状のない皮膚。
…それらへの執着。
実は問題にすべきは、恋愛対象や肌トラブル自体でない。
そこから自分の思考や気持ちが本当に目を向けるべきこと。
その対象から受ける、
自分の気持ちや葛藤こそ、見せられているもの。
他者がどうだろうとどちらでもいいんだな。

夕方職場の会議に出る。今週はやむをえず毎日職場に行っている。
仕事のときの私のことを、私はまだ好きになれない。
自分の嫌な部分がすごくでてくる。それも受け入れようと頭ではわかっている、
けど、葛藤ばかりだ。優しくなりたいのに、と毎日葛藤。
それもまた、見せられているもの。祝福。のはず。

高田馬場のロータリーで

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「久保みねヒャダのこじらせナイト」で、

高田馬場のロータリーは世界一汚ない場所 」

といってて、声に出して笑った。

(大好きな番組。地上波復活ありがとう。)


大学時代、高田馬場が最寄り駅だった私は、
そのロータリーにせっせと4年間通っていた。
私もあのロータリーが大嫌いだった。


世間で言われるキャンパスライフ……
バイト三昧とか、サークルに入るとか、留学とか、
……というものを、まったく謳歌できなかった。


リュックに図書館で借りた本をどっさり詰めて
ドアトゥドアで片道2時間の通学路。
受講した講義の単位は落としたことがない。
高校までの学習の仕方しかできなかったので、
この講義は捨てて、とか、1年休学して、とか
そういう柔軟な手段がとれなかった。
とにかくきちんとこなして4年で卒業する、というのが大前提だった。 

単位をとるのがすべてで、
人とのコミュニケーションも不得手で、恋の話のひとつもない大学生活。

 

そんなわたしはリーマンショック後の就職活動氷河期に、
まったく評価されなかった。

学歴だけではもはや雇ってもらえなかったし、

人にアピールできる功績もなかった。

大学さえ行っておけばなんとかなるというあまりに古い価値観を信じていた。

不器用な私は4年目でやっと気がついた。


この学生時代を私は「無為に」過ごしてしまったのか、と愕然としてしまった

 

 

他学部はきれいになっていくのに

取り残されて改装されない教育学部の校舎。

友人と歩いたラーメン屋ばかりの学生街。

居酒屋ばかりの駅前。薄暗い路地。
美味しくない学食。いちょう並木。

高田馬場のロータリーは、
いつもサークルのコンパの待ち合わせでごった返していて
学生時代を謳歌する彼らのことを

あか抜けない私はいつも呪っていた。

常にあった不安な気持ち。

 

 

あのロータリーに立っていると、

どこへも行こうと思えば行けるはずなのに

どこに行ったらいいのかわからなくて、途方にくれていた。

 

 

 そういう「無為で無駄な学生生活」を過ごした自分を、

今のいままで、ずっと憎んでいた。

 

 

けれど、今にして思う。

その時に得たかったものって、何なのか。

大企業への就職、キャリアとか、名誉とか?それで世間に親に顔向けができるという自信?

そんなものだろうか。

 

 

……そういう得られなかったものは、

結局、

私には必要がなかった。

だから手に入らなかった。導かれなかった。

それだけのこと。


 

そう思うと、過去の自分を責める気持ちが安らいだ。

 


そして、
あの学生時代の自分がいるから、今の自分はいる、と

すこしずつ認められるようになった。

 

 

あの頃。

第二外国語の専攻はなぜかスペイン語で、

それがきっかけで、アルモドバルの、目にも鮮やかで残酷で

それでも愛をあきらめない映画のファンになった。

ビクトル・エリセの仄暗い闇の中のランプの灯り、『ミツバチのささやき』のアナ・トレントの瞳。

長い長い夏休みの蒸し暑い雨の夏に読んだ『百年の孤独』。
一方で、ドストエフスキーに傾倒して、むやみにロシア語の講義をとってみたり。
池袋の立教大学まで講義を受けに行ってみたり。
文学部キャンパスの図書館書庫にわざわざ行っては萩尾望都のマンガを読みにいった。
レポートで扱うロラン・バルトミシェル・フーコーレヴィナスなんかを
読んでみては、分かったような分からないような気分で
レポートをパソコン室でしたためていた。
オアシスだった駅前の書店。

大きな図書館の地下書架に、知の深淵みたいなものを感じたり。

そこで読みふけったゲーテリルケの詩。

19世紀末からWW1の歴史や芸術にも興味があって、

調べ物をしては心はいつも世紀末ウィーンにいた。

 

 

あの頃に映画で見た太陽と情熱と悲劇、

本の中の寒空、知識人の知恵をほんの少し、

クリムトの黄金、

そんなものが、確かにわたしの中に生きている。

とても大事な経験だったと思える。

 


「  あなたがいたから、今ここにいるよ。

今の私は幸せだよ。

だから、大丈夫。 」

 

 

あの高田馬場のロータリーで、

身の置き所がなくて、小さく丸めたあの頃の私の背中に

今の私がそんなふうに声をかける。

光をあてる。

 

 

 過去の私はほっとした面持ちで、

今の私もまた、安らかな気持ちになる。