誰かが泣いて作られたものは欲しくない

f:id:indigoholizon:20180613212448j:plain


いつも楽しみに拝読している、

 

ヒトミちゃんの宇宙研究所
(楽しく、優しくて大好き。)

www.hitomi33.com

 

そこでネットラジオの配信もされているのですが
(これまた素敵)

 

その中で、それが主題ではないのですが、
「10000円以下の定価で売られる衣類というのは、
どこかで誰か(人や自然)が泣いていると思った」という話がありました。

 

ヒトミちゃんがアパレル業界に携わってきた経験、
今取り組んでいる下着づくりでの過程に触れてお話されていました。

 

 

ファストファッションの服が作られる現場、
いわゆる発展途上国の下請け工場などの記事をよんで、
(検索してみるといろいろ出てきます)
あるいはそういうファッションのお店で、バーゲンセールになった服が
無造作にワゴンに入れられているのを見たとき。
雑に扱われてハンガーにひっかかってとれない服を
どうしても外せなくて助けられなかったときの申し訳ない気持ち。

 

 

この資本主義の社会で、
個人の意志を主張する手段はいろいろあります。
選挙、デモ、さまざまなイベント、雑誌、出版、SNS、などなど……。
そのなかで、

地味に、しかし一番効くのは、
日々の、ひとりひとりの、購買の選択だと思います。


 

見極め、

選択し、
それぞれをとびきりよい物にすれば
自分の身の回りも素敵なものに囲まれますし、良いものを作ってくださる方のためにもなるし、


なにより、罪悪感をもってファッションを楽しむことは私はしたくない。

 

誰かが泣いて作られた服は、私はいらないな。

 喜びで作られた服を、喜びをもって身につける、そういう選択をしたいです。